1日4時間労働になればいいのに

楽しい事をしたあとは、仕事が憂鬱である。

キャンプをしている時の、心からの幸福感。

自然をダイレクトに感じ、仲間たちともなんの打算もなく笑いあえる。

ものを独占するのではなく、共有しみんなで分け合う。

子どもたちも、みんなで見合う。

そんな経験をしたあとに、日常生活に戻るとなんと窮屈なことか。

 

勤務時間は決まっており、しないといけないことも決まっている。

もっと自由に時間を使いたいと思ってしまう。

仕事ができる有難さも頭では理解しているし、感謝もしている。

仕事だって、面白さを見つけて取り組んでいる。

 

しかしそれは、頭で理解しているだけなのだ。

理屈で本能を押し付けているだけなのだ。

 

感謝しないといけないと思った時点で感謝していないのだ。

自然の中にいると、感謝しないといけないという感情すら出てこない。

もっと次元を超えた、幸福感に包まれる。

 

仕事をするからこそ、休日が楽しいというのも理屈だ。

たしかに仕事からの解放感はある。

それは幸福感というよりも、解放感である。

 

仕事がしたくないわけではない。

人生が仕事中心になっているのだ、嫌なのだ。

 

1日3-4時間くらいの仕事でいい。

なんとか、この夢をかなえられないものか日々模索中である。

 

でもお金が減るのも不安だしな。

と、ぐちぐち言っているのである。