栗城史多さんという登山家の生涯から学んだこと【書評】

河野啓さんの「デス・ゾーン」の書評です。

 

標高8000m以上をデスゾーンと呼び

地上の1/3の酸素しかないという。

酸素なしで人間が生存できる場所ではないという意味だ。

 

そのデスゾーンに8度挑み、

8回目の登山でで滑落死した登山家、栗城史多(くりきのぶかず)さんの人物評です。

第18回 開高健ノンフィクション賞 受賞作である。

(ちなみに第8回の受賞作は角幡唯介さんの「空白の5マイル」です)

 

たまに読みたくなるノンフィクション。

著者の河野啓さんはTVマンである。

栗城史多さんのエベレスト挑戦を取材していくなかで

他の登山家とは違う魅力に取りつかれていきます。

 

栗城史多と関わった、登山家や同僚、スポンサー、身近な人、さらには占い師にもインタビューしていきます。

 

「デス・ゾーン」の副題が「栗城史多のエベレスト劇場」とある通り

エベレストを劇場と捉え、視聴者を意識した登山をしていきます。

エベレスト登頂をライブ配信するという「夢」を追います。

 

栗城さんの登山スタイルは王道の登山家からは全く評価されません。

視聴者・応援者を意識しすぎて、普通の医者からは評価されていないメディア医師を連想しました。

 

話術は巧みで、人をやる気にさせるのが上手な人。

アイディアも独創的で、一緒に栗城さんの夢を叶えようとスポンサーや協力者も増えていきます。

 

しかし、有言実行とはいかず登山は失敗つづき。

スポンサーは次第に離れていきます。

でもあきらめずに挑戦をする。

そこが栗城さんのアイデンティティーを確立していきます。

 

しかし

登山技術は未熟であり、体力も乏しい。

単独無酸素と言っているが 単独でも無酸素でもない(登山界の常識では)。

 

ネットでも批判者が出てきます。

業績をもり、講演を行ったりスポンサーを集めたりすることは批判の的になります。

 

それでもやめない栗城さん。

一体その原動力は何なのか?

どういう思考回路をしているのか?

一般常識では理解しがたい行動をする栗城さん。

 

最後はエベレスト登山でも一番の難ルートを選択します。

関わったすべての人が止めますが挑戦し滑落死。享年35歳。

 

理屈では理解ができません。

客観的に見ると無謀であり自死です。

 

しかし、魅力がある方であったことは分かります。

だからこそ、著者の河野啓さんは書き残しておかないといけないと思ったのでしょう。

インタビューを受ける人の多くが

「栗城さんは言っても聞かない」と言います。

 

その人間的な魅力はどこにあるのか?

真似をする、参考にするということはできないと思いますが

人間というものを理解する助けにはなると思います。

 

私の近くにも、大きな夢を語り実行していく人がいました。

言動はとても立派でした。

協力者も増えていきました。

しかし、犠牲にしていったものも大きく(健康や家族)、当初の夢と内容が乖離していきました。

遠くの人の幸せを願うのではなく、身近な人を大切にすることの方が大切だとその人から学びました。

 

私は「夢」という言葉が好きではありません。

「夢」は諸刃の剣であり、多くの犠牲者がでます。

「夢」を追っている本人は途中までは楽しいかもしれない。

しかし、最後は自分自身が「夢」の犠牲者になってしまう。

 

とてもマイナスなことを書いてしまいましたが

私がこの本を読んで素直に感じた感想です。