おじさん妄想漫画第2弾「スーパーの裏でヤニ吸うふたり」

サウナの休憩室でたまたま手に取り、おもしろくて一気見してしまった。

主人公は45歳の独身・ブラック企業勤めおじさん・佐々木。

行きつけのスーパーのレジの女の子・山田さんに癒される毎日。

楽しみはそれしかないようである。

そのスーパーの裏に喫煙所があり、そこで若い女性・田山さんと知り合う。

山田さんと田山さんは同一人物だが主人公の佐々木は気づかず、いろいろと相談をすることに・・・。

という設定もなかなか面白いものになっている。

 

 

 

 

スーパーという舞台設定も面白い。

他の店員さんとのからみも心温まるエピソードも多い。

皆、他人の事を思いやり優しい。

出来すぎな人たちばかりであるが、なぜか読んでいて心地いい。

心が洗われるのだ。

こんな風に他人を思いやれたらいいのになと思ってしまう。

 

本筋は、佐々木と山田さん(田山さん)との恋愛模様。

現実には絶対ありえない関係。

でも、おじさんは夢見てしまう。

またこんな恋愛がしたいなと。

 

10代・20代の恋愛は特別だったんだなぁと思う。

30代・40代ともなると打算なき恋愛なんてないような気がする。

そもそも恋愛なのかどうかよくわからない。

 

妄想漫画が続いている。

次はどんな妄想漫画を読もうかな。

 

 

 

 

中年男性の妄想漫画「ふたりソロキャンプ」にはまる

「ダイの大冒険」を読んでから漫画熱があがり

快活クラブに行ってなにか面白い本はないかなと漁っていたら

「ふたりソロキャンプ」というものを見つけた。

名前は知っていたけどキャンプ漫画なんて面白いのか?と思って敬遠をしていた。

 

 

 

 

ぱらぱらめくると、ドンズバではまってしまった。

私もソロキャンパーであり、集団を好まず、コミュニケーション能力低めなため

主人公の厳さん(げんさん)にどはまりしてしまった。

ビールをおいしそうに飲むシーンなんて最高である。

ソロキャンプをこよなく愛する厳さんが1人の女性ソロキャンパー雫(しずく)に出会う。

雫は川に落ちてびしょ濡れになり、厳さんがトイレに行っている間に厳さんの焚火で下着を乾かしているというありえない設定で幕をあける。

エロ路線か?とおもっていたら、下着が出てくるシーンはそれだけであとはピュアな恋愛漫画となっていく。

子供がいる家でも安心して読むことができるのだ。

 

厳さん35歳、雫20歳。そんな出会いがあるはずもなく。そして雫がしだいに厳さんに恋をしていくという流れ。

現実では120%ない設定。

なのに、読む手が止まらない。

中年男性の妄想が炸裂しており、見ていて苦しくなる。

さらにもう一人美人ソロキャンパー(結衣)が現れ、雫と厳さんを取り合いに…。

いい年したおっさん(私)がドキドキしているのだ。

 

これも脚本のうまさであろう。

少しずつ2人は近づいていく。

 

まだ連載が続いているのでこの先、厳さんと雫はどのように進展していくのか。

中年おっさん漫画にしてはピュア度が高めでエロシーンは第1巻のみ。

なのにこんなにドキドキしてしまう。

数十年前のあのピュアな気持ちを思い出しているのかもしれない。

 

恋愛漫画ではなくキャンプ漫画なのでキャンプ知識の説明も多くてうれしい。

意外と知らないことがあったりして。

 

焚火の楽しさ、設営後の一杯のうまさ、自然のオーケストラ、満点の星空

キャンプができるという時間があることへの感謝

 

すべてが漫画に詰まっていて共感しかなかった。

youtubeを見ることも忘れて、ビールを飲みながらキャンプ漫画を読む。

 

最高のお盆だった。

「ダイの大冒険」を一気読み

時々昔のジャンプ漫画を読みたくなる。

メルカリで「ダイの大冒険」全巻2500円で手に入れて一気読みした。

 

 

 

こんなにおもしろかったっけ?と思った。

アニメで見ていたけど、漫画は初めてだった。

ストーリーはジャンプ漫画の王道どおり

主人公が成長しながら仲間を増やして協力して大魔王を倒す物語。

次々に敵がダイの味方に寝返ってくる。

ストーリーをほとんど忘れていたので全く新鮮に読めた。

 

自己犠牲が美しく描写されている。

仲間のために命を張るシーンが多い。

ポップの成長が著しく大魔導士になる。

ポップは武器屋の息子で尊い血筋(ダイやレオナ姫、マァム)も壮絶な過去(ヒュンケル)もない。

そんなポップは、「アバンの印」を手渡された重圧に潰されそうになる。

しかし最後にはダイをも凌ぐ勢いで成長し一番頼りとなる仲間となる。

 

ストーリーがうまいなと思う。

無理のない、だらけることがないストーリー。

本筋とは関係ない戦闘シーンはなく、物語の中に没入できる。

敵も魅力的なキャラばかりで、読後は良質な小説を読み終わったような感覚がある。

キルバーン、ミストバーン、フレイザードがかっこいいな。

 

物語が下手に脱線しなかったり、間延びするシーンがなくて

本気で毎回書いているんだろうなというのが分かる。

 

たまには漫画を本気で読むのもいいものである。

凪良ゆう「多類婚姻譚」を読む

凪良ゆうさんの「多類婚姻譚」を読みました。

2026年上半期の直木賞ノミネート作です。

 

 

 

いやー面白かった。そして、どのストーリーでも泣いてしまった。

5つの短編からなりますが、どのストーリーも感動した。

婚姻とあり、結婚にまつわる5人の女性の物語。

派遣社員

キャリアウーマン

子供なしでの離婚

女性の権利を前面に出す女性

不倫の果て

 

結婚とは何なのか。

現代にとって結婚をする意味とは何なのか。

合理主義・自己責任・個人主義という社会構造の中での結婚制度の意味付けは。

 

明らかに昭和時代とは意味が違う。

平成は昭和の価値観が続きつつも違和感が出てきた時代。

令和はいよいよ、結婚制度が崩壊する時代と言えそうだ。

 

一億総活躍せよとの政府の目的は

一億総労働せよとほぼ同意義である。

労働+家事+育児をせよということ。それも自己責任で。

もうほぼ総労働状態となった今は、今度は副業せよ(=もっと働け)とのこと。

結婚をしないほうが合理的なのだ。

 

まず生活コストが低くなる。

育児こそ重労働であり、子供を持つことは非合理的な選択となる。

子供を持つことをリスクと考える人が増えるのもうなずける。

昭和時代のように、結婚と出産を社会で支えていた時代は安心して生むことができた。

社会もその気概があった。

子育てもみんなでしていた。

 

労働=自己実現であるという洗脳を我々はされてしまった。

暖かい家庭を作る事・家庭を守る事が自己実現につながっていた時代もあったのに。

 

本書に登場する5人の結婚観は様々だ。

好きな人と結婚をしたい

結婚は契約だ

結婚は夢のまた夢だ

結婚はもういい

結果としての不倫

 

読みながら様々な意見を聴いている感じだ。

自分は結婚というものをどのようにとらえているかを考えながら読んだ。

 

結婚もいいし、離婚もいい。不倫だって結果としてなっているに過ぎない。

原因はお互いにある。

子供がいると大変は確か。でもとても充実はするし自分も成長する。

 

結婚出産が当たり前だった時代はむしろ考えなくてよかったから幸せだったかもしれない。 それが幸せがと思っていたし疑問もなかった。

 

自分ですべて選択をしないといけないということはとても暴力的な事に感じる。

選択すると自己責任が生じる。当たり前だけど、厳しすぎやしませんかと思う。

 

とても充実した読書となった。

どれもよかったけど派遣社員の女性の物語が一番ぐっときた。

タイトルが「beautiful dreamer」。

結婚はしたくてもできないものになってしまった。

夢のまた夢。だけど美しい夢。

うーん、とても考えさせられた。

念願の鯒(コチ)を釣る!

3年間狙い続けた。

まったく釣れず、何度も心が折れた。

やっと釣れた。たった35cmだったけどものすごく嬉しい。

youtubeを見ると皆釣っている。

精神に悪かった。

キラキラした生活を見せつけられているみたいで。

いつしか、釣れない人のyoutubeを見るようになった。

 

お互い頑張ろうなって思えたから。

 

毎年の1年間目標に「鯒を釣る」と書いていた。

今年は書けなかった。

どうせ駄目だろうと思っていたから。

 

鯒を釣っている人はたくさんみた。

なぜか自分だけが釣れない。

人生を否定されたような気持になっていた。

 

「地形変化が大事だ!」

「ベイトを探せ!」

「離岸流を探せ!」

 

わかっている。

でもどこかわからないのです。

 

それでも投げ続けた。

なんとなくここいいなって思ったところにいた。

 

諦めなくてよかった。

ここからがスタートだ。

三宅香帆「ニュー日本文学史」を読む

三宅香帆さん、天才すぎではありませんか。

面白すぎです。

 

 

 

今までにない目線で、古典文学を批評してくれています。

読者と作者を独自の解釈をもとにつなげてくれます。

三宅香帆さんの特徴は切り口が面白いということ。

切り口はその方の感性である。

膨大な知識と記憶力を平易な言葉で書いてくれる。

なかなかできることではないと思う。

スーパーオタク女子。

いままで同じような立ち位置の人がいたであろうか。

 

常識に逆らった人たちの古典文学を批評してくれます。

紫式部、紀貫之、井原西鶴、本居宣長、森鴎外 などなど。

皆苦労をしている。

外野からはやいやい言われ、メンタル病んでも

自分の信念は曲げずに生きてきた先人達の記録。

歴史に名を残している人たちはやはり尖っていたし、周囲との軋轢も尋常ではなかったであろう。

 

紫式部がぐちぐち言っている「紫式部日記」を紹介するなんて視点が豊かすぎます。

紫式部がぐっと身近に感じられてきました。

宮中でのライバルとなる清少納言との対比。言いたいことをずけずけといってポジティブシンキングな清少納言。陰キャな紫式部はそんな清少納言の振る舞いが気に入らずぐちぐち日記に書きます。

ぐちぐち書いたあとに「私も駄目だわ」と自己嫌悪になっています。

 

そんなエピソードがたくさん出てきます。

学校の古典の授業でしたら絶対面白いのに!って思う。

でも、もしかしたら様々な人生経験を積んだからこそ、古典の面白さがわかるのかもしれない。

とても歴史上の人物が身近に感じられるのだ。

みんな苦労をして生きていたんだなぁと。

 

国語の授業で古典を習う意味はあるのか?

という問いがよくありますが

私は「ある」と思います。

それは人生を豊かにしてくれる装置だから。

40代になって、伝統の奥深さを再認識しています。

もし、小中高でまったく古典に触れていなければ今楽しむことができていません。

 

小中校で意味がわからなくてもいいと思う。

20年後に意味がわかるから。

それってすごくないですか。

種をまいて収穫しているみたいな。

 

教師の労働問題と一緒に議論されることが多い、古典不要論。

古典を切り捨てることは合理的ではないと思う。

人生の豊かさは非合理的なことにあると思うから。

 

 

三宅香帆「女の子の謎を解く」を読む

行きつけの書店が閉店してしまうという悲しいニュース。

2つの書店を行ったり来たりして利用しているが、その1つが閉店となる。

書店には想い出が付属する。おすすめ本も違うから、そこで意外な本を発見したものだ。

閉店する前に行かなきゃということで、たまたま三宅香帆さんの特集がされており

「女の子の謎を解く」を見つけた。

私にとっては名著であった。

 

 

 

私の名著の定義は

1.とにかく次が読みたくなる(ゾーンに入る)

2.ビールを飲みながら読むことができる(youtubeより優先)

3.風呂に入りながら読むことができる(のぼせてても集中して読める)

4.休みの日の気怠い午後に読むことができる(集中力がなくなる時間帯でも読める)

5.昼休憩に読むことができる(読書が最高のストレス発散となる)

である。

 

三宅香帆さんの書評はマニアックであり作品の好きがあふれている。

古典にしろ、漫画にしろ未知の領域に私を連れて行ってくれる。

ジブリや有名漫画、名作の女性主人公の立ち位置を時代背景と共に批評してくれる。

過去から現在にかけてヒロイン(女性主人公)はどう変遷してきたのか。

 

男を惑わす女性、男を守る女性、自己プロデュースする女性、悪と戦う女性、ケアする女性 と様々な作品から三宅節を炸裂してくれる。

女版山田玲司、山田五郎なみにマニアックな知識をわかりやすく面白く届けてくれる。

そこまで深く読んでいるのかと感心するし、

他の作品と比較してまとめる力に脱帽する。

 

さらに個人としてのヒロインだけでなく

姉妹ヒロイン(となりのトトロやアナ雪)や母娘ヒロイン(宇佐美りんの「かか」、川上未映子「乳と卵」など)、シスターフッド(同じ境遇同志の女性の連帯)の分析も面白い。

 

2010年代に入り多い設定が母娘問題なのだという。「毒親」という言葉も流行っている。毒親というとき父親よりもむしろ母親が連想される。

父親はわざわざ毒親といわれることはない。昔からアル中・虐待で悪者になることが多くて流行りとはいいがたい。

しかし「母に支配された娘」という構図は現代社会の闇として、たしかに表面化してきている気がする。

「父殺し」は昔から文学のテーマであったが、現代は殺すべき父が弱りすぎていない。

文学的テーマになりやすいのは「母殺し」である。

しかし、母殺しを成し遂げた作品はないようである。殺すのではなく「和解」。

母と自分は結局似たもの同士なのだという事に気づく事が多いようだ。

そして、母を結局受け入れるという構図になる。

たぶん母を殺すと自分も死ぬ事が分かるのであろう。

そういう目線で流行の本を読むのも面白いと思う。

 

最近読んだ村上春樹さんの「夏帆」も母娘問題であった。

それに気づいたときにぞっとした。

村上春樹さん、同じようなことを書いているけど最先端じゃん。

 

今読んでいる本が、以前読んだ本とつながる。

これは全くパーソナルな体験である。

だから読書はやめられない。

 

そんな場を提供してくれる書店は私にとっては究極なサードプレイスなのだ。

読書が趣味になったことは幸せである。一生遊べるよ。

村上春樹著 「夏帆」を読んで

村上春樹の新刊がでており、ついつい手にとってしまった。

 

 

たまに読みたくなる村上春樹 もう77歳なんですね。

小説を書き続けている、仕事をし続けている事は本当にすごい事だと思う。

とても楽しいんだろうな。

 

良い悪いは読んだ人が決めればいいわけで、自分が好きならそれでよしである。

特に大きな感動があるわけではなく、ストーリーはワンパターンである。

なんとなくスケールも小ぶりになったようである。

でも、読んでいて気持ちがいい。

とても読みやすく、情景がバチっと脳内で再生される。

そして記憶に残り、思い出す事ができる。

他の小説だと風景描写があいまいになるが、村上作品はベタっと脳内に残るのだ。

おおまかなストーリーは過去作と同じである。

なぜかそこに安心感がある。

再読をしているような感覚になるのだ。

村上春樹という作家を理解しているつもりであるから、同じようなパターンでも納得がいく。

奇をてらったり、新たなものに挑戦をしたりしていないところが円熟味を感じる。

同じようでいて微細に違うところ。

肩の力が抜けすぎていて一見、味気ない料理に思える。

でも、濃い料理より毎日食べるコメのように薄い料理のほうが長く味わうことができる。

そして、おかずはなんでも合う。

 

26歳の女性が「やれやれ」と言う。

言うわけがないだろっと突っ込みを入れたくなる。

春樹に遊ばれているようだ。それも気持ちがいい。

「入れてやったぜ」って思っているのかもしれない。

 

昔は小説を読み、そこに何か意義を見出そうとしていたが

今は違う。その瞬間を楽しむ読書をしている。

そしてスローリィーディングである。

あんまり頭使いすぎると疲れるし、お茶づけみたいにさらさらと読む読書もいい。

 

1週目読むときは誰が見方で誰が敵かわからない。

登場人物すべてが怪しく見える。

でも人生で出会う人達ってすべてそうだよなって思う。

この人の言葉を信じていいものなのかどうか最初はわからない。

自分で価値判断をして、前に進むしかないのだ。

 

作中「包丁で刺しなさい」と命令してくる見方であろうアルマジロが出てくる。

信じて大丈夫なのか?とちょっとドキドキ。

人生でもこのまま進んでも大丈夫なのか?ってシーンはいくつもある。

取り返しのつかないことになることもある。

 

好きなシーンが2つあった。

一つは 夏帆(絵本作家)が書いた絵本の中で主人公がゾウに踏みつぶされるシーン(子供向けなのに)

もう一つは最後に「そのうちだれもいなくなるから」というセリフ。

「破壊」と「消失」。

 

77歳の村上春樹さんから寂しさを感じる。

でもきっと皆が通る道なんだろうなって思う。

 

「漢方と感性」を読む

「漢方と感性」という本を読んだ。

 

 

私が臨床で大変参考にさせていただいている「漢方坂本」という薬局の方の著作である。

実学に沿って漢方薬の使い方を解説しているブログがあるが、そこからたくさんのヒントをいただき

臨床で使用してきた。

病を持つ人をとてもやさしく観察している。

生薬一つ一つの意味

漢方薬が治そうとしている病態は一体なんなのか。

 

そんな深く思考されている方が「感性」という切り口で東洋医学について語る。

漢方の実用書ではなく、考え方をコラム形式で提供してくれる。

文体は優しく、人柄がでているようだ。

 

私は東洋医学に出合い、人生観が変わったといってもいい。

病人を見る見方が変わった。

西洋医学と東洋医学は明らかに違う。

私は融合は無理だと思っている。

東洋医学の理屈で治療しないと、うまくいかないからだ。

「天気頭痛には五苓散」では、きっと五苓散は発展していかない。

ただの流行りで終わってしまう。

五苓散は水分代謝異常を治します、と言われるが

よくわからない。

説明している私もよくわからない。

きっともっと深い意味があると思われる。

しかし人間が理解するには何か言語化をしてイメージをもたないといけない。

水毒といっても、なんだろうか?

漢方を10年ほどやっているが、よくわからない。

ただ、漢方がよく効いて症状が明らかに改善している人達がいる。

私はその人達を思い浮かべ、漢方薬が効く人のイメージを作りあげていく。

その作業が面白い。

漢方家は一生飽きないといわれる。

これは確かだと思う。

患者さんから効く症状は実に多彩である。

不謹慎であるがとても面白い。一体、体の中で何が起きているのか。

それを想像するのが面白い。

病は不思議だ。西洋医学の病と東洋医学の病は違うのかもしれない。

比較する事には意味がない。

 

とても深淵な世界へ足を踏み入れているようだ。

漢方は思想でもある。きっとついてこれない人も多いであろう。

観念的すぎるし、目に見えない。数字に還元することができない。

だからおもしろい。

「エプスタイン文書の衝撃」を読む

話題のエプスタイン文書

世界の闇として歴史に残る出来事になるであろう。

「エプスタイン文書の衝撃」を読みました。

 

 

SNSなどのメディアなどで大体は把握しているつもりです。

内容は表にでている情報がほとんどであるが、エプスタインの生い立ちから解説をしてくれて闇に染まっていく様子が描かれている。

実際頭も相当よかったようだ。きっと口もうまかったのであろう。

エプスタインとかかわった人たちは「魅力的であった」と証言している。

表面的にはとても面倒見がよくていい人だったのだろう。

かかわった人に莫大な利益をもたらすことができるからこそ人が集まったと考えられる。

大富豪(ビルゲイツやイーロンマスク)や政治家(クリントンやトランプ)がからめとられていく。

お金がある、地位があるひとがなぜ怪しげな人物とかかわりあってしまうのか。

それはお金があっても、地位があっても手に入れられないもの。

それは若さである。

むしろお金や地位は年齢を重ねるからこそ手に入る。

反比例するかのように若さを失っていく。

若い男性には絶対に性でかなうことができない。

そこを満たしてくれるのはエプスタインであったのだ。

年寄(中年以降)の性欲を満たしてくれる人であったのだ。

 

権力者は酒・薬・女性(男性)で狂うときいたことがある。

古代中国の故事だったような気がするが

様々な事件をきくたびに思い出す。

権力者だけではなく我々一般人もそうであろう。

 

不思議と金が入っていないのだ。

それは古代中国だったからか。

現代なら金(ギャンブル)が入るかもしれない。

 

近年も有名人の性欲にまつわる不祥事がたくさんあった。

きっと金が欲しいわけではないのだ。

最後に欲しいのは若さ(女性にもてること)なのだと思う。

 

過去の文学作品にも中年以降の男性のゆがんだ性欲を描いた作品が山ほどある。

ゆがんでいるわけではないのだ。根源的な欲なのだ。

だから古今東西なくならない。

歴史的俯瞰でみてみると、なんら不思議ではない事件に思えてきた。

 

読みながら懸念することがあった。それは少子化である。

若い女性が性奴隷とされていることに心を痛める理由の一つとして

もし娘が同様の事をされたらという想像である。

子供がいないことで、そういった想像力が働かなくなっていく可能性はないか。

子供や女性をモノとして扱ってしまう人が今後増えるのではないか。

次世代の事まで考えられなくなって、自制心がなくなってしまうのではないか。

 

そんなことまで想像して読んでしまった。